太平洋戦争、真珠湾攻撃前にもアメリカ産の石油は日本に輸入されてきていた

1941年、日本は80%の石油をアメリカに依存していた。日中戦争の時にもアメリカにお伺いを立てていた。
なぜなら、アメリカは中立法(戦争国への物資の輸出を禁じる)を持っており、発動されると日本にとって死刑宣告に等しかった。
1941年7月にアメリカは日本への石油輸出の全面禁止に踏み切る。
中立法を恐れた日本は宣戦布告なしに中国との戦争をはじめる。中国も同じ理由で布告なしに開戦。
真珠湾攻撃の翌日、1941年12月9日に中国は対日宣戦布告を行う。
アメリカが石油輸出禁止を決めると日本は対米開戦に向かう。これは常軌を逸している。

石油輸出禁止後にもアメリカ産の石油は日本に来ていた。
当時、世界最大の石油会社だったロックフェラー家のスタンダード石油と密な関係にあったナチスドイツの複合化学企業、IGファルベンを経由したルートだった。

インドネシアの油田からの油は日本国内に輸送できなかった。
資源の運搬は軍に徴用された民間商船がおこなった。それらは米潜水艦により撃沈されたからである。
第2次大戦中に犠牲になった民間商船は2500隻、船員の数は6万人にもなる。

敗戦を迎え、新たな政府が立てられると戦争遂行の責任を負うべき人々は次々と要職に就いていく。
一部の人間のみ断罪される。

第二次世界大戦の結果、日本は戦争をすることができなくなる

国連憲章の敵国条項により国連加盟国の中で唯一日本は戦争を起こす権利がない。
ドイツ、イタリアはNATOに加盟したため敵国条項は適用されない。