書くと呼吸になる。

頭の中に何かを溜め込んでそれを撫で回すことで世の中の何かを知ったつもりになっていたけど、実際のアウトプットを出す段になると殆ど何も伝えたいことも伝えるための能力すらないのだと痛感する。
それでも、少しずつ呼吸をするように文章を吐き出すと、脳髄に沈積していたものが出ていくようで心地よい。

子供の頃から感じていたのは生まれつき勉強出来るかどうかっていう頭の良さは決まっているのだということだった。周囲を見てそう感じていただけなんだけど、成長してくると殆ど確信に近いものになった。
知能は脳のスペックに依存する。脳スペックはその形質から立ち上がる。その形質は遺伝に由来する。脳と身体は切り離れているのではなくて、脳は体の一部でしかないんだから、目や肌の色が親から遺伝するのと同じように脳味噌の出来だって決まるんだろう。
環境によってそれが潰されたり、信じられないくらいに増強されることはもちろんある。だけど遺伝子を低く評価してはいけない。
文字を読めるかどうか、物語を追えるかどうかは現実の認識能力を備えているかに寄る。現実にピントを合わせる能力を持っている者は強い。

俺はといえば何も分からない。音楽、視覚芸術、文学、数学、社会、人の心理、哲学、神と宗教、お金の動き、中東情勢。全部に無知だ。
去年末くらいからだったと思うけど、人工知能の教育の過程で日本の中高生のうち15%が日本語を読むことが出来ないことが調査で分かり、話題になり続けている。
中学生の段階で読解力を養うことができない子供はそのまま大人になっても母国語を読むことが出来ないのだという。
俺もおそらく、その一人であって、脳が本来持っているべきであるのに抜け落ちてしまっているものはとても多い部類だと実感する。
これは生まれつきでもあるし、矯正しなかったせいでもある。あまりにも手遅れでどうしようもないのだと思う。
インシャアッラー。

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