東浩紀による『一般意志2.0』とその後 #5の解説イベントのまとめメモ

放置のリベラリズム

同性愛者、ある特定の地域に生まれる、あるいは自分のジェンダーは自分で決定したものではないが、意志選択に大きく影響する。そこに主体性はない。

ジジェクの受動的主体性:主体性はある種の受動性があることで作動する。主体性はサステナビリティを持つ。この持続性は自由意志によって保たれているわけではない。主体性と自由意志は別物である。
主体性:時間的持続可能性、責任を持つ、認知心理学では意識と表される
自由意志:徹底的なFlow、リアルタイムコミュニケーション

ドストエフスキー

ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の中に「大審問官」が出て来る。ドミトリ、アリョーシャ、イワン、私生児のスメルジャコフが殺人事件に巻き込まれる話。一人はシベリア送りになり、一人は出家する話。イワンとアリョーシャがキリスト教について議論する場面がある。アリョーシャ「神が最後に救ってくれてすべての苦しみは消える」、イワン「最後に救われたとしても、今苦しいという現実は消えない」
これは時間性の話。アリョーシャは弁証法の時間について語る。ヘーゲルの弁証は正反合を含み、その過程を繰り返す中で最後にやってくるものがすごい、という考え方。主体の持続性と時間とのつながりについて考えさせる場面。

リベラル

J.Rawls/ R.Nozick/ M.Sandel = 左から順にリベラリズム1971、リベラリズム1975、コミュニタリアニズム
東にとってサンデルが一番つまらない。Nozickが面白い。
アメリカが国家の共同体を構築するためにこれらの人間の知恵を使った。
J.Rawls:無知のベールをまずかぶるべき。その上で合意を取ることが大切。アメリカが多民族国家であり、黒人が差別されていた。その状態をひっくり返すためには人種間の差をなくす必要があった。
サンデル:負荷なき主体はない。Rawlsが唱えるような無知のベールをかぶった主体は存在しないから、交換可能性を諦めて、熟議をしよう。

ベンヤミン

ベンヤミン:「複製技術時代の芸術」で映画を視覚的無意識と呼ぶ。なぜなら高速度撮影と低速度撮影があるから。
i.e. 机にあるコップを取る、というなんともない仕草を撮影する。高速度撮影では細かな癖がわかる。低速度撮影ではおおまかな癖(同じところにコップを置くなど)
ユング:集合的無意識(Collective unconsciousness)、ユングによると1950年代にUFOが多数目撃されたのは国民の大勢が平和を願っていたからだった。評判が悪い。地縁血縁を共有しているとあるパターンを持つ。

自由意志

意志はリアルタイムの自由意志。
自己決定 / 主体性
ルソーはなんで性を描いたのか?
ルソーは社会契約論の中でpityを重要視した。

ホッブズ ロック ルソー

三大社会論者
・ホッブズ
・ロック
・ルソー

ホッブズ、ロックは合理的に考えた結果、人間は社会を形成すべきだと言っている。ルソーは合理的に考えた場合には人は社会を作らない、といっている。ルソーが理想とするのは狩猟採集民。
社会契約論は1762年に書かれた。この8年後にアメリカ独立革命があった。当時のフランスではアメリカンインディアンの生活は理想と見られていた。20世紀ではレヴィ・ストロースも同様の視点でカイエ・ソバージュを書いた。レヴィ・ストロースのカイエ・ソバージュの中にあるルソー思想を批判するために書かれたのがジャック・デリダの「グラマトロジーについて」の第2部。ルソーの世界観では無意識によって社会が形成されている、と考える。ルソーは人間嫌いで、文学者でひきこもり。ルソーの「告白」の冒頭ではすべてを包み隠さず書こうとある。日本の私小説もその影響を受けて性の話が多い。

岡ノ谷の「さえずり言語起源論」

声帯をここまでコントロールできるのは人間と鳥。息を吐いたり吸ったりを意図的にすることができない。チンパンジーなどは知能は高いが、しゃべれないのは単純に声帯をコントロールできないから。鳥は互いの鳴き声を聞くことで局面において共進化していき、言語的なコミュニケーションができるようになる。

東の愚痴

早稲田で5人、10人の学生を相手に授業をする時には、もっと大人数を相手にやりたいと思っていたが、実際にやってみると、早稲田のほうが楽だった。生徒は寝てるし、聞いてないからテキトーにやってればよかった。ゲンロンはプレッシャーがつらい(笑)

リチャード・ローティ

ローティ:偶然性・アイロニー。人間は偶然の要素によって人生が決まっているからアイロニーで乗り切ろう、という考え。
私的:マルクス主義、宗教、神
公的:共感(compassion)
宗教はその定義上、普通は公的であり、共感は私的だが、ローティはその逆転を行っている。共感こそが社会を形成するために必要なもの、というローティの議論。
共感:ランダム、無責任
i.e. ネットでたまたまみたアフリカの子供のために10ドル募金する、しかし寝て起きたら忘れている。それでOK。無私性。
i.e. 東は昔、酔っ払って線路に落ちた。その時に死ぬと思ったと共に「今回は選択肢をミスってバッドエンドになった」と思った。後日、電車を停めたことによる損害請求はなかった。電車の多い時間帯なのに人が降りてきて助けてくれた。

コミュニタリアニズム

非政治、自由意志、固有名、リベラリズム ⇔ 政治、持続可能性、確定記述、コミュニタリアニズム
その中間としての「顔」「欲望」。人は顔で判断しがちで、それによって間違い(誤配)が起こる。
固有名の世界は匿名の世界だから、平等になるのだ、というのは2ちゃんねると朝日新聞がまざった世界。俺の身になって考えてみろ、という無知のベールが氾濫した世界。コミュニタリアニズムの世界では代替可能性が働かない。

質疑応答

Q:身体性による政治について。オルテガの「大衆の反逆」を読んだ。今は大衆が政治を決める。これによって戦争につながった。身体性による政治というのは、無知のベールによって最適な社会の在り方が原理的になくなる、ということか?
東:統治とは何なのかという話。社会においてひとつの審級において全てを決定することはできない。社会において重要でもみんなで話し合って決める必要がないことがある。こういったものは市場原理によって決定されることがある。牛丼屋の値段など。政治はその中の一部でしかない。社会は欲望のネットワークによって構成されている。欲望がtwitterなどによって一気に結晶化して暴走するということはある。それを阻止する手段は統治機構による監視になる。社会全体の欲望のコントロールが大きな課題としてある。今では男女が紳士的に上品に話をしているふりをしていたが、それがネットがあることによって社会の本音がでるようになってしまった(これは日韓関係のメタファ)。社会全体の欲望に付き合う、ということが課題になる。今までの政治対立に加えてネットのおかげで中間項の選択肢ができた(=顔)。こういった欲望、身体を忘れるふりをして政治が営まれている。

Q:リバタリアニズムは今回の話題ではどこに位置するのか?
東:リバタリアニズムがどこに位置するかは分からない。リベラリズムとは全ての人間と共感しよう、という話。stereotype=笑い。ステレオタイプがあるからこそ笑いが成立する。「切断」が重要。ものごとを厳密に、こぼれ落ちるものがないまま理解することはできないから、だいたいの理解を目処として他者と付き合う。
被害者はカテゴライズされることを嫌う。被害自体を個別の体験だと主張したがる。

Q:共感における絆が声高にいわれているが、絆について思うことがあるか?
東:漠然としているから分からない。

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