東浩紀による『一般意志2.0』とその後 #2の解説イベントのまとめメモ

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東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #1の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #3の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #4の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #5の要約メモ

集合知を民主主義に活かす経路での障害

* 政治思想はみな「熟議」主義
* H. Arendt, 人間の条件→熟議主義
* J, Habermas 討議的理性→話すことによって民主主義は成立する
* Derivative democracy
* 熟議民主主義 ⇔ 闘技民主主義(Agnostic democracy)
* 日本では鈴木寛が熟議民主主義を実践している

超克

技術的障害は新しい技術の開発で乗り越える。
思想的障害は古典再読で乗り越える → ルソーの「社会契約論」の3章は「一般意志はなぜ誤ることはないか」となっており無誤謬が前提となっている。

ジャン・ジャック・ルソー

一般意志は共通の利益にのにみ関わる ⇔ 全体意志は私的な利益にも関わる。
一般意志は一般意志のベクター ⇔ 全体意志は特殊意志の総和
人々がコミュニケーションなしで十分な情報を集めた場合に一般意志が現れる。社会契約論が書かれた1762年には理解されなかった。

* ルソーはひきこもりであった。
* サロン文化との確執
* 恋愛小説、告白小説の起源
* 独特の教育論「エミール」
出てきたのはできるだけ人間と関わらない政治=熟議なしの政治=媒介なしの政治(i.e. 貨幣や代議制民主主義は媒介)
世の中には媒介好きな哲学者と嫌いなやつがいる。ヘーゲルは前者。ルソーは後者の代表。ルソーは露出狂だった。告白小説では包み隠さずすべてを記した。
内面を文学で描くようになったのは18世紀から、その起源がルソー。
ルソーは文字も言語も嫌いだった。歌や叫び声が好きだった。
ルソーが作った文学上の課題は19世紀、20世紀と引き継がれるが、ポストモダンのラノベなどで消失する。

* ルソーの近代民主主義は集合知の夢から始まっていた?
* ルソーを乗り越える。集合知だけで政治をやるのは危険では?ポピュリズム。
* 独裁の肯定では?一般意思を掴む「立法者」
* ロベスピエール
* カール・シュミットのルソーの読解
というわけで熟議と集合知の新しい関係 = 代議制と集合知の新しい関係
代議制では定期的に入れ替わりが起こる。集合知は恒常的にネットに流れている。タイムスパンが違う。

ルソーの時代には一般意思は見えなかったので独裁者が必要だった。一方で現代はネットで一般意思が可視化されているので独裁化にはならない。

* 一般意志に取り囲まれる熟議
* 集合知は合意形成の手段としては使えない(集合知だけみるとポピュリズムになる
* 合意形成の制約に使う

人民の意志(集合知)に従うのではなく、それを制約条件とした政治

無意識を制約条件とした意識(フロイト) ⇔ 集合知を制約条件とした熟議

今までは人々の感情が見えなかったから、官僚が独断的に決めていた。その決定と大衆の感情が不一致だと結局うまくいかず、政策施行コストが高くなる。

i.e. 1 クリストファ・アレグザンダー(1960年代建築家)が高速道路のルートを決める図版を出した。
これは様々な条件を視覚的に重ね合わせて高速道路のルートの在り方の制約を示したもの。
i.e. 2 ニコ生もコメント欄にいろいろな情報(リスナーの意志)を表している。これはテレビにはないもの。コメント欄(一般意志)によって登壇者(熟議)が大幅な影響を受けることはない。しかし、コメントを受けて登壇者が微調整をしていくことはある。これは熟議と集合知の組み合わせの良い例。

官邸前デモや新仕分けがあったけど、一般意志2.0は政治についてあまり考えていない。
新仕分けは一般意志2.0のアイディアを使ったもの。

動物(集合知) VS 人間(熟議)
偶然(事故) VS 必然(死)
「ソルジェニーツィン試論 確率の手触り」東の著書、上記テーマを扱ったもの。

科学者は統計の解釈ができない。

20年後でも福島の低線量被曝被害について答えはでない。いくらデータが集まって、健康被害のメカニズムが分かっても起きる、統計的死について考える。
タバコ一本の方が放射線よりも健康被害が大きい。

動物 ⇔ 人間
経済的-功利的存在 ⇔ 政治的-倫理的存在
生権力 ⇔ 規律権力:Foucault
私 oikos ⇔ 公 polis:Arendt
無意識 ⇔ 意識:Freud
Freudの無意識論とネットワーク論の相似性

oikos(家)+nomos(秩序)=economy
ギリシャでは経済(家の中)は奴隷が担当でPolisについて市民は語っていた。
Arendtはこの経済と政治の乖離をもう一度接続する必要性があると主張した。

Freudの中でTreb(Drive)を訳すのがむずかしい。
これはInstinctでもdisireでもない。ラカニアンでは欲動で統一されている。他のものでは本能、欲望などと訳されている。
Freud自体はドイツ語で全集を書いたが、精神分析自体は英語圏で活動が盛んになったので、英語で全集が訳されることになった。当初英語圏でもTrebの訳語を模索していた、その中でラカニアンがdriveを提案した。Instinctは機械論的、Desireは生物的、DriveはInstinctとdesireの中間にある。
Freudは神経生理学者。物理主義であったが成果が出ないから、精神的な切り口に転向した。
彼は流体力学のメタファーを使った。初期のモデルではリビドーを数量的に測定可能だと想定していた。
快楽は均衡状態、定常状態。

動物と人間の折り合い、生き方論として。

ある時は動物としてあるときは人間として、を扱っているのは以下
* Liberal Ironism by Richard Rorty
* 乖離的人間:動物化するポストモダン
* 分人論(平野啓一郎、鈴木健)
社会論としては以下
* Framework for utopias: Robert Nozick
* 非政治的な最小単位としての国家、国民が生活できるミニマムなケアをしてその他の欲求は個人に委ねる
* 複数の政治的・倫理的共同体を包含する
* 非政治的アーキテクチャ -> the Empire: Negri and Hardt
* biopower-based empire( incl. multitude) vs nation states
* 両者の違いはbiopower-based empireは国家という実態はない。多国籍企業が力を持っている。マーケットそのもの。セキュリティには力点を置くが、思想宗教には寛容で無頓着。9.11でテロを起こしたアルカイダはインターネット経由で連絡を取り、トヨタの車に乗り、アメリカで教習を受けた帝国のインフラを利用したもの。multitudes
余談社会論としては以下
* はだかの太陽 : Issac Asimov 1957
* 鋼鉄都市の2巻目である。SFとミステリの融合の傑作。AsimovはSFだけではなく、ミステリも書いている。ロボットのオリボとイライザ刑事が事件を解決する。
* ひきこもりの王国「ソラリア」にクリエイターと科学者2万人が惑星に散らばって生活している。すべてのインフラはロボットによって営まれている。コミュニケーション手段は発達し、人々は会わない。性行為をするときのみ、薬を飲んで我慢して接触する。VRが発達している。全裸で話し合ったりする。直接対面するのはとても苦手で対人恐怖症。人間は全員ひきこもり
* 鋼鉄都市:はだかの太陽の対極の話。NYCの人口が増えすぎて、ドームの中で人間に囲まれた状態で生活をしている。
* これら2つの話は歴史の終焉、人類の最終生活様式として描かれている。
* 鋼鉄都市:地球はロボットを追い出した、代わりに人間が労働している。
* ソラリア:圧倒的なテクノロジーがあるが人間のコミュニケーションが崩壊。
* これら2つの歴史が交錯することでお互いの歴史が動き出すという話。
* Asimovは銀河帝国、ロボットシリーズで有名。鋼鉄都市はだかの太陽はこの中間を描いた物語。
* 1957年は重要な年。アレクサンドル・コジェーヴがヘーゲルの精神現象学について解説した「精神分析学序説」でアメリカ的動物、日本的スノビズムを提唱している。これらが鋼鉄都市とソラリアに符合する。

そもそも動物とは何か?

「人間と意志の中間」 Heidegger
* ハイデガー全集50数巻あるがまだ10巻しかでていない。ドイツ語でも出ていない。
* デリダの講義録もフランスで出版されていない。すべて出版されるには100年以上かかる。
* the world poor
* 哲学は明確であるために、主体を定めるために階層を作る。
* 現存在者(客体であり主体性を持つ) ⇔ 存在者(物、石)という対立を扱うハイデガーでは動物は扱えない。ハイデガーはカント主義の極地。
Peter Singerの訴える動物の権利 1970年代、功利主義
* 人類社会のみながら動物や他のものも含めてベンサムの最大多数最大幸福を適用する。全動物を序列化する。功利主義は快を計算可能であると考える。
* Person論は最悪だが、最悪なものをもっているものこそが哲学。成人をパーソン10とするとオランウータンがパーソン7、知的障害者は5などといった風に分類する。Peterは類人猿の権利獲得に非常に熱心。堕胎を肯定する上に、重い知的障害の場合には嬰児でも殺してよいと判断する。
cf. 國分功一郎、金森修

魂があるともないとも言えない存在 →功利主義的序列か、人間絶対主義か?
東はネット自体には魂があるかないかは哲学の至上命題だと思う。なぜなら固有名のないものをどう取り扱うか、キャラクタとは何かと関係してくる。
text論 ⇔ character論
BakhtinのpolyphonyをintertexualityにしたKristevaは正しかったのか?
cf.三浦俊彦、可能世界論
シャーロック・ホームズを色んな人が演じることができる、性別すら変えることが可能。固有名ではない、ということになる。

主体以前の存在たち
* 子供、障害者、ケアとはなにか
* 自己決定の限界

死後の存在とはなにか?

Bot, 死後のsocial media、亡霊の諸問題
集合知は魂以前のものの寄せ集めに見える。
これからネットを介して主体、固有名、魂のないものと触れ合う機会が増えていく。

東浩紀のゲンロンカフェ『一般意志2.0』とその後 #3の要約メモ

東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #3の要約メモ

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