東浩紀による『一般意志2.0』とその後 #1の解説イベントのまとめメモ

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東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #2の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #3の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #4の要約メモ
東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #5の要約メモ

導入

2011年に出版し大きな反響を呼んだ『一般意志2.0』。しかし(著者から見ると)内容は十分に理解されているとは言いがたく、さまざまな誤解を呼んでいる。また単著にまとめるにあたり、割愛したアイデアも多い。

たとえば、なぜフロイトの精神分析が副題になるほど重要視されているのか、著書の内部ではほとんど説明されていない。ルソーの恋愛観や告白観と社会契約論の関係も記されていない。読みやすさを重視したためだが、しかし本当は、そのような「枝葉末節」こそが、『一般意志2.0』のアイデアの本質を支えていたのである。

というわけで、この講義では、そのような瑕疵を補いつつ、著者の考える人間観、社会観をあらためて整理するとともに、その実践的な含意についても議論したいと思う。受講にあたっては格段の哲学的知識は必要としないが、抽象的思考に取り組もうとする意欲は求める。

『存在論的、郵便的』は思想の本、『動物化するポストモダン』はオタクの本、『一般意志2.0』は政治の本、と分けて考えることはできない、というのがこの講義で示したいことである。

一般意志とは

熟議 ⇔ データベース
意識的な討論 ⇔ 無意識的な集合知
の2つをどうインタラクトさせるかという試み。
一般に議論は「意識的な討論」と「無意識的な集合知」にわけられる。
議論のスタイルのみではなくて、人間そのものをどう捉えるかが鍵。

功利主義とカント主義

意識的な討論:主体、カント
無意識的な集合知:人間を機械(動物)のように捉える、バラバラの個人

マイケル・サンデルのボートの話(8人を助けるために事件と無関係な1人を犠牲にすべきか?)
カント主義:バラバラの個人があり、その幸せを合算して評価することができない→8人を見殺し
功利主義:それぞれの幸せなどを合算可能と考える→8人助けて1人を殺す
ボートの話は直感的なものではなく哲学歴史的な背景がある。カント主義と功利主義の対立がある。

ヨーロッパの哲学では全ての個人は意志を持っていて、それをぶつけ合う、議論することで公共空間が構築される、と考える。
西洋哲学のスタンダード:公共空間は熟議の空間(=皆が話し合う)、背景にはハーバーマス、アーレントがある(カント主義の親玉)。
カント以前は功利主義に基づく考え方をしていた。これはマジョリティを尊重し、マイノリティを排除する思想に繋がる。リベラルはこの動きをカント側に寄り戻す動きである。

ネット上での議論

ビッグデータと行動追跡機能のヒモ付を個人への監視社会と捉えるのは間違い。
ビッグデータは同じ行動パターンを取った人間をマッチングして集合として扱う(アマゾンの協調フィルタリング)。
ネットの背景にあるのは人間はデータベース処理可能である、という人間観。

19世紀以前は支配者、管理者は人口、家族構成などは気にしていなかった。彼らは税収を気にしていた。
それが産業資本主義の参入により国が国民の健康などを管理するようになった(国勢調査、センサス)。
これはコンピュータの芽生えでもある。IBMのパンチカードもこのために作られた。
ネット以前に扱える人間の変数は単純なものだった。年齢、身長、性別、収入など。
ネットによりビッグデータが扱えるようになり、より複雑な情報を入手することもできるようなり、国民の意見(意志)を扱うこともできるようになった。データベース的人間観。

ここで、冒頭にある対立がまた現れる。
伝統的な西洋哲学にある、自立した個人による意識的な議論 ⇔ ネット登場による定量化による無意識的な集合意識
をどうすり合わせていくか。
ネットの登場により古くからある哲学的な課題と向き合うことになった。それぞれのアプローチの特徴は?

自立した数値化できない個人 ⇔ 数値化可能な個人の集まり
別々に行動し生きている個人 ⇔ パラメータから予測可能な個人

上の対立がそのまま、
主体 ⇔ 動物
となって現れる。

ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論

ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論(1762)に影響を受けてフランス革命(1789)が起きる。
ルソーは人嫌い。文学者、社会思想家であった。この2つのあり方は日本では分断されている。
社会思想家としては、個人は社会に奉仕すべき、と書いてある。
文学者としては、個人は孤独に生きるべき、と書いてある
一般意志は個人が互いを意識せずに孤独に考えて、結論することで現れると考える。
お互いが話し合わない、合意しなくても結論が出ると考える。
これは当時は意味不明であり、キリスト教神秘主義が入っていた、あるいはヘーゲルは、一般意志と全体意志というのがあり、全体意志は熟議により出る、一般意志は意見調整なしで出る。
ヘーゲル:国家意志という概念を出す。創発、エマージェンス。神秘主義的。国家はメタ意識。
カント:一般意志はないが、全体意志の努力目標として捉える。
ネットはルソーの一般意思を具現している。

主体:近代的な公共性、熟議の空間、主体の尊重
動物:オタク的公共性、集合知の空間、人間はデータの断片

動物化するポストモダンは「これからの人間観を動物化」するものではない。

抑圧と乖離モデル

抑圧モデル:心的ハプニングがあった場合にそれを克服することで次の段階にいく(フロイトの精神分析)。i.e. 親からの希望像を乗り越える
乖離モデル:外傷を忘れて新天地へ向かう(フロイトと同時期に乖離モデルで精神分析をした人がいる)
。アメリカを中心に多重人格者が現れる。(ピエール・ジャネ)

抑圧乖離モデルを援用することで主体動物の対立を捉える。
主体として扱われたい自分と全体の部分としての自分の共存が大切。
(主体=抑圧を乗り越える能動性、動物=行動パターンに乗った集合の一部?)

存在論的郵便的

半分はデリダ、残りはハイデガーとフロイトについて書いてある。

政治性

主体(リベラリズム)哲学に近い政治思想、カント主義 ⇔ 動物(リバタリアニズム、法と経済学、シカゴ学派)経済に近い政治思想、功利主義
i.e. 会場に聾が1人居たとしたら字幕、手話をつけなければいけないとするのがカント主義。それは経済合理性から言ってできないというのが功利主義。

熟議とデータベースは人間とは何か?という問いへのひとつの切り口。
ルソーはこの2つの接続を考えた。

ロマン主義:ある種の中二病

社会契約論:もし一般意思が個人に死ねと命じた場合、個人は死ななければならない。なぜなら一般意志は間違うことはないから。

一般意志はアマゾンのリコメンド機能みたいなもの。

ルソーはエミールという教育論の本を書いたが、ルソー自身は5人子供を持っていて全員を孤児院に送っている。

東浩紀のゲンロンカフェ『一般意志2.0』とその後 #2の要約メモ

東浩紀 ゲンロンカフェ 『一般意志2.0』とその後 #2の要約メモ

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