明治維新とヨーロッパ資本の関係性

戊辰戦争とヨーロッパ資本の関係
1864年の長州戦争から1868年の戊辰戦争の流れも似ている。
薩長側にイギリス、幕府側にはフランスの資本家がついていた。
当時、イギリスは第一次産業革命中で、世界の工場と呼ばれていた。
綿製品を世界に輸出していたが、経済的には破産状態で戦費は銀行家から借りていた。
フランスも政府ではなく、銀行家が資金提供した。

1863年、長州は関門海峡で外国船を砲撃するも、フランス、アメリカに反撃され敗れる。
1864年、四カ国連合(イギリス、アメリカ、フランス、オランダ)が下関まで上陸。講和交渉で300万ドル(現在の100兆円)の賠償金が決まる。
長州のを幕府が肩代わりするも支払い能力がなく、フランスの銀行から借りる。
これも元から幕府の年間予算規模の賠償を狙い上陸したと考えるべき。仕組まれていた。

坂本龍馬の新政府綱領八策にある民主的な国家視点はイングランド、フランスに通じるものがある。
これはトマス・グラバー(スコットランド出身の武器商人)による入れ知恵。
議会制民主主義を確立し、王から通貨発行権を中央銀行に移さなければ利益を得られないからである。

長州が組織した萩藩の高杉晋作で有名な奇兵隊も身分制度を否定した組織編成。
当時の農民はそこまで貧しくはなく、わざわざ倒幕する民権意識もない。
被差別民によって編成されていた可能性がある。

長崎のプロテスタント宣教師フルベッキの下では、200人以上の薩摩藩士に、坂本龍馬の海援隊、陸援隊の中岡慎太郎もいた。
身分制度の否定を宣教師から学んだ可能性もある。
高杉晋作の師であった吉田松陰も、長崎外遊時に外国人と接点を持った可能性がある。

戊辰戦争後に明治維新を迎え、1882年に日本銀行が設立される。これは半官半民で、ヨーロッパ資本家は日本の資本を手に入れる。
日本銀行の株のうち39%の個人株主が誰であるかは明かされていない。

上記と同じ仕組みは、ロシア革命も同じ。
マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」と「資本論」は思想プロパガンダとして利用して革命を引き起こした。

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