茂木 健一郎 プロセス アイ 小説 チュニジア

茂木健一郎 プロセス・アイを読み始めた

プロセス・アイという茂木によるSF小説に興味を持った 脳科学者として日本国内での教養人をおそらく自負しているであろう茂木がどういった小説を書くのかということに期待というよりも好奇心から手に取った本書。 2000年代から綴られているクオリア日記は彼の人生の軌跡そのものだ。頭のなかにあるものを流れるように書き出しているために所々荒い点があるけれど、それ自体が持ち味とみることだって出来る。茂木は日本国内に留まらず国外の様々な場所に出没している(訪れている、となぜか素直に書けない)せいもあって、その文章には固有名詞と神話的な叙述に満ちている。俺の読みでは、茂木健一郎自身は神の存在を信じていないが、神を信じる人の精神は美しいと思っているに違いない。 それで、本書プロセス・アイに返るわけだけど、これもまた固有名詞とスピリチュアルに満ちている。もちろん、科学や経済資本主義もちゃんと収まっている。 まだ4章までしか読んでいない。正直、誰が主要人物なんかも掴めていない。タケシ(川端武志)、グンジ(高田軍司)のどちらかだとは思うんだけども。世界中の国に居住する様々な人々が現れるから群像劇にも見える。まあそもそもライトノベルみたいなキャラクタ小説ではないからこの観点自体が本筋ではない。 北アフリカのチュニジア、チュニスにあるカルタゴの古代遺跡トフェの神話と精神世界から始まる話は物理学と資本主義へのアルゴリズム的な攻略へとつながっていくらしい(読んでないから読み進めた所までしか書けない)。 よく引き合いに出している森博嗣と比べると圧倒的に茂木の小説には固有名詞が溢れている。とにかく具体的なのだ。ハワイで大学生をやっている日系人であるツヨとチカのデート場面も着ているものからストリートまで名前で満ちている。これが路面にある小石のようにゴツゴツとした感触を与えてくれてなんとも心地良い。森博嗣の作品は固有名が極端に少ない。抽象的といってもいい。茂木は物理学、精神世界での抽象的な世界を提供しつつも、あくまで具体的な世界像の中で物語が進行していることを示してくれる。 単なる好奇心から読み始めた本書だけど、予想していた以上に面白い。 茂木が作家としての知名度が低いことが信じられないしとても惜しい。 金持ち脳・貧乏脳みたいなくだらない本なんて出さない方がいいのに。才能の無駄遣いだ。

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森博嗣 茂木健一郎 すべてがFになる 捨てる メフィスト ポストモダン ソーカル事件

なぜ茂木健一郎は森博嗣のすべてがFになるをゴミ箱に捨てたのか? 総括編

経緯説明はこちらを参照してほしい。 というわけで、どういった理由で茂木健一は沖縄で海に下半身を浸かりながら読んでいた「すべてがFになる」をゴミ箱に投げ捨てなければならなかったのか? 前の記事でほとんど明らかになった事柄について説明していかなければならない。 気楽にまとめよう 茂木は自身が所属する科学コミュニティとポストモダンを代表とする思想界の両者のそれぞれがある違う文脈では有効性を示さないことを看過した。 その溝を埋めるための両者をつなぐための大きなものの存在を希求している。 そして、同様の世界間のズレを文学にも発見した。それは今までの文学とメフィスト賞作品との間に見出されるらしい。 アカデミズムと文学という異なる世界で共通の課題が横たわっているということは、この問題自体が現代の諸々に通底するものであると茂木は捉えているのかもしれない。 森博嗣について見てみよう。 彼は工学博士という理系アカデミズムの人間である。 一方で文学においては異端あるいは色物(と少なくとも同時は見做されていた)であるメフィスト賞の記念すべき第一回を受賞してデビューを果たした作家である。 同じく博士号を持ち、古典文学をこよなく愛する茂木から見るとさぞバランス感覚を欠いた人間として映るに違いない。 真賀田四季の設定が深いようでどこか底抜けである、という印象は森博嗣作品が好きである俺も同意できる。 重ねて悪いことに、舞城王太郎は第19回メフィスト賞を受賞している。文學界の連載で舞城王太郎の作品を否定的に取り扱った茂木からすると森博嗣は舞城王太郎の大先輩でありアーチ・エネミーである。 もし、森博嗣作品に文系的な教養と会話が挟み込まれていたら自体は180度変わっていた可能性がある。 しかし、残念ながら、かくして茂木健一郎は「すべてがFになる」を読み、激昂してゴミ箱に投げ捨てたのであった。

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森博嗣 夏のレプリカ 感想 解説 素生 謎

森博嗣 夏のレプリカを解説します 2/2

森博嗣の夏のレプリカを解説します。 前回の記事はあくまで導入であって、あらすじを通して明示されたメインの誘拐殺人事件と簑沢杜萌の兄である素生に関する物語で暗示された問いについては解説した。 こちらが本題であるエヴィデンスのない話を広げようという志向性によって書かれている。 なぜ俺がエヴィデンスを重視した話に興味がないのかについては、こちらの記事に記した通りの事情による。 答えが明かされない暗示された問題たち クイーンとルークは誰を指すのか 杜萌はとても聡明である、ゆえに危うい部分を持ち合わせている。これは森博嗣の作品に登場する他のキャラクタにも共通する性質である。 物語の中では名前の類似点をはじめに杜萌はなにかと萌絵と対比される。 赤松と彼が所属するコミュニティに対する傾倒を見るに、杜萌の方がよりポテンシャルを持っているように映る。そして、その才能のせいで自滅する道を選んでしまう。 その二人が直接的に分かりやすい形で描かれる場面がある。 夏のレプリカの象徴的なシーンとして現れる西之園萌絵と簑沢杜萌の盤なしでのチェス対決である。 杜萌により潜在的な力があると書いたが、チェスにおいては萌絵の圧倒的なコンピューティングのために、彼女は負け通しである。 しかし、物語終盤で萌絵が杜萌宅を訪れて再びチェスで勝負をした際に杜萌が勝つ。これが杜萌の方がポテンシャルが高いという意味である。 萌絵は杜萌が取ったストラテジィから、事件の真相に辿り着く場面は感動的ですらある。 以下、その場面を引用しよう。 杜萌はそっと萌絵から離れ、立ち上がった。 彼女を見上げた萌絵の表情は、初めて本当に悲しそうに見えた。 「杜萌……、貴女が殺したのね?」 「チェスで、萌絵に勝ったのは初めてだよ」杜萌は言った。 「ええ、最高の試合だった」萌絵は頷いた。彼女はもう泣いていない。「貴女はクイーンもルークも、初めから捨てるつもりだったのね? それに気がついたときには、もう遅かったわ」

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森博嗣 夏のレプリカ 感想 解説 素生 謎

森博嗣 夏のレプリカを解説します 1/2

1998年に発表された本作「夏のレプリカ」を2017年の今解説する残念企画へようこそ。 なぜ今さら夏のレプリカを解説するのか まずは本物語の中から簑沢杜萌と犀川創平のやり取りを引用しよう。 「犀川先生は、萌絵のどこが気に入ったのですか?」思い切って杜萌は質問した。自分らしい大胆な質問だと思った。 「その質問をする君が、興味深い」犀川は煙草に火をつける。「質問は、質問する人を表現するんだ。それに対する返答なんかとは無関係にね」 俺が発売からほとんど20年越しで解説しようと決意した意図はこの会話に凝縮されている。 簡潔に書くと、この作品についての質問を思いついてしまったからである。 詳しいことは、森博嗣作品の解釈について書いたこちらの記事を読んでもらいたい。 夏のレプリカへの導入 S&Mシリーズの白眉 全10巻あるシリーズの中でも夏のレプリカは浮いている作品だといっていい。 密室殺人は登場しないし、メイントリックも「まあ」といった感じではある。 「いいのよ、殺しても」という簑沢杜萌の言葉の印象が初めと終わりで大きく変わる、という着想が先にあって、物語が構築された感すらある。 なので、その点に着目するとクリストファー・ノーランのMementoが思い起こされる小説だ。 だけれど、それはまだ表層の話であって、もっと深く物語世界に潜ることができる。 その為に、夏のレプリカは白眉、足り得るのである。 それについて書いていくとしよう。 昔、読んだ人のために 繰り返すが結構前に発表された作品なので内容について曖昧な人もいると思うので、軽くあらすじを押さえてから解説に入りたいと思う。 明示された問題としてのあらすじ

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森博嗣 茂木健一郎 すべてがFになる 捨てる メフィスト ポストモダン ソーカル事件

なぜ茂木健一郎は森博嗣のすべてがFになるをゴミ箱に捨てたのか? 導入・経緯説明編

森博嗣を読んだ茂木健一郎は激昂した 脳内参照リソース不足である人間によって運営されている当サイトは長らく森博嗣作品と脳科学者・茂木健一郎氏に関するネタを投稿してきた。 これには管理人の能力以外の理由も実は在る。 それがこの記事のタイトルである、なぜ茂木健一郎は森博嗣のすべてがFになるをゴミ箱に捨てたのか?にある。 意味が分からないかもしれない。一体何の話をしているんだ、と思うかもしれない。 実は、この一見すると接点のなさそうな二人をつなぐブリッジが存在するのだ。 一体何があったのか 事態は2005年1月31日の茂木健一郎によるクオリア日記に全てある。 当日の日記で、茂木は忙殺状態にあり精神的にもかなり追い詰められている様子が記されている。 当日締切の「大仕事」を処理しながら、論文作業も進める。そんな状況であっても散歩を終えた茂木は新潮を読み耽る。この辺り、メンタルタフネスが鍛えられたインテリぽいではないか。 中身は浅田彰、柄谷行人、鵜飼哲鼎談と大森望、豊崎由美の「文学賞メッタ斬り!」である。 取り組んでいる科学分野(conventional scienceと元ブログでは表されている)が持つ知の体系と浅田、柄谷、鵜飼が語るジャック・デリダ論を比して、茂木はふと思う。 無茶苦茶な世界に生きているなあと思う。その無茶苦茶さが、シミジミ面白い。 茂木は従来からの科学の在り方はある文脈ではゴミ屑(元記事ではarse hole)であることを、同新潮に連載されている保坂和志の 「利根川進みたいな能天気なヤツは、あと十年とか二十年で記憶が解明されて、あと百年以内に意識の全貌が解明されるとか言っているけれども、全然無理なんじゃないか?」 という文章を引き合いに出し、具体例として示している。 ある思想の文脈の中では、科学者は能天気に見える。 一方で、婉曲的にソーカル事件に言及した上で

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森博嗣 真賀田 四季 秋 感想 瀬在丸紅子

森博嗣 四季 秋を読んだ感想

あまり書くことのない秋 と、まあいきなり本作のキャッチフレーズである「もう一度出せる秋」を弄ってみたわけである。 前に書いた森博嗣の作品解釈に関する記事で「夏のレプリカ」をレビューすると書いたけど、こちらを先に読んでしまったので済ませてしまいたい。 ライトノベルを書くにあたって、普段は小説自体を読まないんだけど流石に何も読まないまま執筆に取り掛かろうとするのは無謀なんじゃないのかと思ったので、本棚に残っていたものを読むことにした。 それが森博嗣の四季 秋である。 刊行2000年代に四季シリーズが順次発行された時に一通り読んだはずなのだけど、秋は印象が薄く、内容をほとんど覚えていなかった。これが上記のライトノベルの執筆に加えて読み直そうと思い至った理由でもある。 四季シリーズの秋はS&MとVシリーズをつなぎ、百年シリーズへの跳躍を予感させる作品だ。 実際に読み始めてみると、意外と内容を思い出すものである。 読んだことのある人であれば分かると思うけど、目立った物語が描かれているわけでもないし、隠れたテーマ性もあるのかないのか釈然としない。 S&Mでのデビュー当時からキャラクタ小説の色合いが強かった森博嗣はVシリーズになり、増々その方向性を強めていった。そのひとつの臨界点としての四季シリーズはある気がする。 特に四季 秋はその要素が強く出ているせいでファンサービスのために書かれた作品であるようにすら見える。 商業作家なのだから読者におもねることもひとつの仕事ではある。批判する意図はない。 あえていうならテーマは愛かな なぜ愛なのかというと、四季 秋の物語では様々なカップルが登場して自分が思いを寄せる相手に対しての心情や態度を吐露するからである。 始めに書いたようにそもそも、この作品自体が今までの作品群を読み続けてきた読者の愛に対して作者の森博嗣が応えたものであるから、この線の解釈も許してもらえないだろうか。 これがアウトだとすると、正直、ほとんど書けることがない。苦笑するしかない。 順番に見ていこう。

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森博嗣 作品 謎 解釈 問題 答え 夏のレプリカ

森博嗣作品の読解について エヴィデンスのない世界の美しさ

森博嗣作品の魅力とこれからの読者への願い 導入 森博嗣の読者に対してお願いしたいことがあるのでここに記そうと思う。 森作品が持つ魅力のひとつに描かれている世界の多層性がある。 どういうことだろう。 より具体的に説明すると、作品の中に仕込まれている謎は大きく4つに分類することができ、各々の在り方が違う。 そして、それらの謎の層が織り成す多層性のどの位置に読者の注意を向けるかによって作品の色が変わる。 一度、読み終えた小説であっても、再度、異なる別の視点から読むことで、新しい楽しみを見出すことができる。 これはひとつの作品世界内で完結してる謎もあるし、作品を跨いでいることもある、更にはシリーズを超えて謎が提示されることすらもある。 この多層性こそが森作品が多くの読者を惹きつけて止まない理由であることに疑いはないと思う。 4種類の謎 導入部分に書いたように作品に埋め込まれている謎は4つに大別することができる。 明示された謎 明示された謎は文字通り、物語中でここに問題があるので解いてください、と提示されているものを指す。 1. 事件自体 これが一番分かりやすいだろう。 森作品の全てに殺人事件があるわけではないが、メインのシリーズでは殺人事件が起き、犯行現場は密室であり、誰がやったのかも分からないという状況が与えられていることが多い。 読者は探偵役の登場人物(S&Mであれば西之園萌絵、犀川創平。Vであれば瀬在丸紅子と愉快な仲間達)を介して事件の謎に迫る。 2.

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森博嗣 作家の収支 感想 まとめ 小説家という職業

森博嗣 作家の収支 感想とまとめ

作家志望者にすすめる森博嗣の方法論本 森博嗣信者として「作家の収支」は前々から気になってはいたものの未読であった。 読んでみて思ったことを簡単にまとめてみる。 森博嗣の超略歴 有名作家であるが、知らない人のために作家になるまでの道のりを完全に端折りながら書いてみる。 1957年、愛知県生まれ。 工学で博士号を持っており、三重大学、名古屋大学で教員を務める。 1995年、名古屋大学時代に「冷たい密室と博士たち」を1週間で書き上げる。 1996年、38歳の時に書き下ろし4作目である「すべてがFになる」で第一回目メフィスト賞を取り、作家デビューする。なのでややこしいが「すべてがFになる」の方が出版順序では1作目になる。 森博嗣の経歴や作家としてデビューする際のより詳しい経緯は本書にも書いてある。 冒頭に書いた通り、小説家として名の売れている森博嗣であるが、いわゆるミリオン作品は今までにない。 ドラマ化とアニメ化がされている「すべてがFになる」であっても100万部に届いていないというのは驚きである。 しかし、全作品を総合的に見た時の印税は多い。それは森が多数の本を世に送り出しているからだ。 デビュー以来の出版業の趨勢やそれに対応するための森側の販売戦略も書かれている。 そんな森の作家としての「収支」、つまりは金勘定に焦点を当てたのが本書である。 作家の収支 「小説家という職業」の補講としての位置づけ 著者は2010年に「小説家という職業」という新書を出版している。 俺は未読なので、内容については本書に書かれていることを頼りにする。 同書では作家になるための一般的な方法論が存在しないという前提の下で、小説家という職業の説明や必要な気構えについて記しているらしい。

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